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2015年 01月 27日
今年1月7日のパリのシャルリーエブド襲撃事件は社会的にも歴史的にも重大な契機となる出来事。
100万人規模のデモ以来メディアに取り上げられなくなったので、そろそろ書いてみようとおもう。 自分もしくは自分の信じる文化や宗教が正しくて、他が誤りとする他を許容しない考え方がそもそもの間違いだと感じる。 丁度その前日にこのブログで「正しいかどうか」について書いていた。 世の中に正解は1つではない。 それは、自分にとって正しいだけであって、或いは他の多くの人にとって正だけであり、絶対的な正義など存在しないと私は思う。 なので、違う考え方や違う境遇の人の数だけ正解があり、それらを許容しなければならない。 自分の正義を主張するのではなく、別な考えを許容し他があるとことを認めることが正しいことだとおもう。 とうとう日本人の犠牲者も出てしまったイスラム国の問題も、根深いけれど、他を許容しない限り平穏は訪れないだろう。 1/7シャルリーエブド襲撃は、そんな問題を提起するきっかけになった歴史的に大きな事件になるとおもう。 kiri ▲
by invisible-design
| 2015-01-27 20:30
| その他
2015年 01月 27日
人の心理は言葉に支配されている。
世界は言葉で出来ているという言葉もあったような無い様な。。。謎です。 さて、物事をみて自分なりの判断をするのですが、判断は多くの場合先入観に左右されます。 前もって悪意に満ちた言葉で説明された場合と好意的に説明された場合とでは見え方、判断に大きな差異を生みます。 先にブログ内で書いた様に日本人にはそれが特に顕著です。 自分の判断ではなく人の判断や言葉に影響を受けやすいのです。 決して悪くありません。それも有りです。 商売や営業では、その心理をうまく使うかどうかが成功のカギを握ります。 日本人に対しては現物以上に説明が重要な事がそこに現れます。 それはモノに限らず人を見る目、事象全てに当てはまります。 全ての人が全てことを「悪意をもって見る」と社会は機能しなくなると思います。 逆に好意をもって受け止めると素晴らしい社会になると思います。 自分は出来る限り好意的に見る様心がけることを心がけます。笑) ▲
by invisible-design
| 2015-01-27 11:20
| その他
2015年 01月 26日
2015年 01月 20日
一昔前流行った、エクセレント・カンパニーという言葉
マッキンゼーのコンサルタントが作った言葉らしい。 「ポルシェマカンはファミリーカー」という記事を読んできた中に有った引用 他意はありません。 条件定義は8つあって、 (1)行動の重視 (2)顧客に密着する (3)自主性と企業家精神 (4)ひとを通じての生産性向上 (5)価値観に基づく実践 (6)基軸から離れない (7)単純な組織・小さな本社 (8)厳しさと緩やかさの両面を同時に持つ kiri ▲
by invisible-design
| 2015-01-20 16:00
| INVISIBLE
2015年 01月 17日
フランスでの痛ましい事件は、ヴォルテールの言葉に集約される。
「私はあなたの意見には反対だが、それを主張する権利は命をかけて守る。」 対宗教にもそれを貫いたフランスとイスラムの対立が続かなければよいのだが。 ▲
by invisible-design
| 2015-01-17 18:18
| その他
2015年 01月 12日
今年から、出来るだけ自分の’考えを発信したいと思ったけれど、いきなりで引きがないといけないと思い SNSへのリンク設定は解除して書き込んでいたつもりでしたが、設定のミスで配信してしまいました。
大変失礼しました。 配信にはあまり力を入れず、ブログには書きたいことを書こうと思っています。 宜しければ、またHPを覗いてみてください。 ▲
by invisible-design
| 2015-01-12 14:52
| その他
2015年 01月 12日
OTTAVAの再放送で中川賢一さんのオリビエメシアン解説を聴いています。
中川さんの解説無しにメシアンを聞くことは無かったと思います。 OTTAVAを応援しています。 昨年は休止の連絡から奇跡的な復活により第2の開局まで漕ぎ着けていただきました。 関係者の大変な尽力があったことを察します。 2014年11/7のガラコンサートにも参りました。 弊社は2007年に今の場所「逗子」に事務所を始め、常に音楽が流れている環境を目指しましたが、FM局は地元のゆる過ぎるものだけで、J-Waveさえ入りませんでした。 この時代に何たることかとインターネットラジオを探していて見つけたOTTAVA。 偶然にも2007年に開局で、一方的に変な因果を感じていました。 クラシックは、ながら作業に邪魔になりません。 高音質は、かけているだけで空気清浄器の様に空気をきれいにしてくれる感じがします。 当時のコピーは「音のインテリア」まさにぴったりだと思っていました。 クラシックは気にはなっていましたが、馴染めずに居ました。 OTTAVAはクラシックへのハードルをぐっと下げて門戸を開いてくださった放送局です。 それまでサティやラヴェルはどうカテゴライズされるのか、クラシックと作曲家の事、時代背景など解りやすく解説してくださるプレゼンターの話を聞くことで世界観や歴史観が完全につながり、頭の中でぼんやりとしていたマトリクスが組み上がっていくことを感じます。音楽は音楽にとどまらない頂点を極めると分野の垣根を越えて1点に収束するという話を偉大な作曲家やその作品の音楽に触れることで感じます。そのことを教えてくれた放送局で、今ではクラシックは生活の一部です。そんなに開いてくれたこの放送局やプレゼンター、関係者に方に日々感謝しています。言葉に尽くせません。 OTTAVAは「新世界クラシック」というカテゴリーを新たに創り、オーストリアを中心とした欧州だけでなく中南米をの含む何ともカテゴリー分けの難しい曲や古典的なクラシックの耳触りの良い楽章を切り出して部分的に聴かせてくれる貴重な放送局です。 当初今クラシックに力を入れているT○Sのサポートで始まったのですが、昨年切れてしまいました。 モデルは英国の「CLASSIC FM」という放送局です。CLASSIC FM同様のブレイクは叶いませんでしたが、OTTAVAに代わる放送はなく、休止の知らせを聞いたときは1日仕事が手につかないほどショックを受けました。 そして、昨年独立としての船出で厳しい環境です。しかもとても難しいことに取り組んでいます。 「広告モデルでない」という事です。 大手のスポンサーが居ません。もちろんスポンサーが付けば、大手の放送局でやっていけていたのだと思います。 今は、一部の有料放送やオリジナルCDの販売、僅かなアフェリエイトと視聴者からのスポンサーシップなど様々な仕掛けで存続しています。 であれば、NPO法人と言う選択肢もあったのではと思いますが、、、 とても困難な状況であることは想像に難くないのですが、インターネットラジオの特色を活かし世界中に点在する愛聴者をつかんでいます。当然日本語での放送ですので日本人が中心ですが、曲はワールドワイドなので、どこ国の方にも受け入れやすいと感じています。 ネット上のローカルな運動が世界の多くの人の支えになっているいるという事、そしてこの新しい運動が大きくなり、もっと大勢の人の心の支えになるように願っています。 OTTAVAを聞くようになって「小さいけれど継続する音楽の力」をとても感じます。 この全く新しいつながる仕組み、支える仕組みの成功にもとても興味があります。 僅かですが、継続的に支援をさせていただこうと思います。 kiri ▲
by invisible-design
| 2015-01-12 14:22
| INVISIBLE
2015年 01月 12日
2015年 01月 12日
世間は無責任な仕組みで成立している。
それは、以前ここで書きかけて中断していましたが、分かりやすくお伝えするロジックが固まったので、続きを書いてみたいと思います。 会社の中で言えば、営業職と技術職の関係の様なことで、自分を含めて技術畑の人間は突き詰めて完璧を目指したい。しかし、開発と言われることは、今までにないはじめての事であり、探究すればいつまでも終わりがない。 時間は無尽蔵に欲しいものだけれど、市場性を失わない為にはしかるべきタイミングで商品化なり結果にしていかなければなりません・ 逆に営業職は、自社を積極的にPRすることが本業であるため、客先の要望にいち早く応えようと、多少無理な注文も受けて来る。営業としては一種の賭けだが、その賭けに勝たせようと技術職は懸命に努力する。 大きく捉えれば会社ぐるみで自社のPRをする。 どちらが強くても弱くてもダメでバランスこそ重要であるが、この若干見栄を張ってくる姿勢に応えようとする姿勢こそが、無責任の仕組みである。 おそらく技術の事が全てわかる営業職はどのように難しいかを鑑みて対応するため、恐らく歯切れが悪い。 歯切れが悪い態度は相手に信用されないという悪循環になる。 何も知らないで無責任でしかも誠実な態度の営業が優秀なスーパーセールスマンなのだろう。 一方技術職は、無理を承知でそれを達成することがプロなのだと感じる。 難しいのはプロ(メーカー)としての品質を確保し、責任が取れる範囲を見極めることだと思う。 kiri ▲
by invisible-design
| 2015-01-12 12:56
| INVISIBLE
2015年 01月 06日
昨年は日本人3名がノーベル物理学賞を受賞しました。
青色LEDです。ずっと期待していた世紀の発見に歓喜して既に随分時間が経過していましたが、世界的に評価されたことに心躍りました。 近年名古屋大学での受賞者が相次いでおり、今回は名城大学に籍を置く先生も居られ、その双方に関わった人間としてはうれしく感じます。 受賞された方の何方か失念しましたが、正解を1つに限定していないから先進的な発明につながるのだというようなことを言って居られました。 物事には正解が有って、義務教育ではそれを導けるように指導します。 義務教育ですので、地域や場所による違いや先生の個人的な条件に依存しないよう、指導要綱などにより統一している。その正解をどのくらい正確に求められるかが学力であり、ものさしを1つにして分かりやすく比較できるようにする。それが底上げになって今の日本を支えているのだと感じますので悪いことではありませんが、それだけではないと言いたいのです。 似たような話に「常識」という言葉があります。 常識は自分の生活する範囲で多くの人が合意できることが常識となります。 つまり、違う世界に行けば別な常識があり、それは「文化の違い」とかいう言葉で語られます。 しかし、常識はその人が「これが常識だ」と感じているだけで、実は常識など無いと言ってもよいのではないでしょうか。 「正しいこと」 同じことが「正しいこと」についても言えると私は思います。 これが正しいと考えるのは自分自身であり、自分自身の頭で考えられる範囲での回答で「正しい」と解釈したに過ぎないと感じます。 「意識」 事前に与えられた情報を意識することで見え方や感じ方に変化があることは心理学の分野でよく語られます。 つまり意識することは正しい判断を損ないます。 正しいと思っているだけではないか。 ノーベル賞の例は極端ですが、回答は1つではないという事を正しいことは1つではないと言っても解っていただけるような影響力のある人でありたいと常に思います。今は未だ単なる変人の域を出ませんが。 「それでいい」 ではどう考えればよいかの答えです。 物事多くは「どのくらい正解に近いか」ということであり、ここまでがボーダーラインという設定はありません。「これでいい」または「これで良かった」と言えることが重要です。 ぼくはこの点について自分自身にかけるバイアスが高すぎていつも「これではダメだ」と思ってしまう。 そう、ずっと幸せになれないタイプですね。 それではいけないとようやく感じてこんなに回りくどい言い方で書いています。 社会の多くの人はあまり正確なものさしを持っていない。特に日本人はそうです。 人が言っていることに正解を求めがちです。自分で良いかどうかを決めればよいのです。 「良かった」という事で周りに「良かった」が連鎖します。 それが幸せに生きるコツだと感じはじめました。 年始には様々な思いが頭を巡ります。 この手の話はFBやTWには重いので、こっそりここに記して自分の備忘録にします。 kiri ▲
by invisible-design
| 2015-01-06 11:26
| INVISIBLE
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